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ウクライナ:大きいことはいいことか

更新日:2022年5月25日

中国の諸王朝の名前は漢字一文字のことが多いが、自称では「大」の字を冠することがあった。例えば、日本でしばしば清朝と呼ばれる清の国は、「大清」と称した。この「大」からは「偉大さ」を感じるであろう。

一方「小」には、見下したような意味が込められる用例もある。


中華文明の影響というわけでもなかろうが、日本にも似た用法がある。「大日本」や「大江戸」といった呼び方はやはり、日本や江戸の何らかの「偉大さ」を想起させるであろう。

他方では、「小江戸」や「小京都」といった呼び方がある。「小」を冠する呼称は、それが無標のものに似たもの、縮小して再現したもの、悪く言えばその亜流であることを想起させよう。

ところで、「小江戸」に対する「大江戸」はあっても「大京都」はない。その存在の大きさがあまりにも明白なものは、敢えて「大」とは冠さないのかもしれない。


さて、ウクライナ語にはこんな言い方がある。«Велике Токіо»。直訳すれば「大きい東京」であるが、意味するところは東京23区以外の東京都や首都圏を指す用語である。どうも「大東京」の偉大さはあまり感じられず、単に面積の大きさを想起させるばかりである。「大きい意味での東京」であって、東京の核心部ではないという意味合いが感じられる。

英語でもGreater Tokyo Areaと言うが、ウクライナ語の方は比較級ではなく絶対の「大」である。


実はこれ、ヨーロッパで広く使われていた用法である。

イタリア半島南部のギリシャ人植民地帯「メガレ・ヘラス」、あるいは「マグナ・グラエキア」こと「大ギリシャ」。この「大」がそれである。当然、植民地の方が本家より偉大という意味ではないから、いうなれば本家のギリシャに対する「大きな意味でのギリシャ」である。


何を以て「本家」と称するかだが、植民地と本国のように明らかに主従関係があるのと同様の例には、都周辺と都から離れた地域の対比がある。

例えば、ポーランドの王都クラクフを含む地域が「小ポローニア」(Polonia Minor)と呼ばれ、「大ポローニア」(Polonia Maior)と対比されるのはこの例であろう。


アテネ人、あるいはローマ人に先に認識された方が「小」、あとから認識された方(往々にして面積的にはより大きい地域)が「大」と称される例がある。そこから、「アジア」と「小アジア」のように、既存の概念が大きくなりすぎた結果、身近で具体的な方を区別するために「小」が用いられる例もある。


ヨーロッパ世界の中心たるアテネ、あるいはローマから見た場合、そこからの距離が小さい方に「小」、大きい方が「大」と呼ばれることになるのは自然である。文明の中心地を自認する驕った民から見れば鄙は所詮は劣った田舎なのであり、要は小田舎か、大田舎かの差に過ぎない。


いずれの例も、「大」は偉大さとは関係なく、中心的な「小」に対置される周縁的なもの、広義のもの、二義的なものを指すことが共通している。なかには単に甲か乙か、AかBかの区別に過ぎなかった場合もあろうが、そうは言っても乙よりは甲、BよりはAの方が優れているように思えてくるものである。ギリシャ人やローマ人は、「小」こそ本家、「大」は亜流と考えた。


さて、最近でもたまに目にするが、「小ロシア」、「大ロシア」という名称がある。本当は歴史的に厳密さを欠く理解だが、今日では前者はウクライナ、後者はいわゆるロシアのことを指す用語であったと思われているのでそういうことにしておこう。

この用語の初出は、14世紀ビザンツ帝国のギリシャ語文献である。これだけ書けば、賢明なる読者はこの名称がどんな経緯で、どんな意味を持って現れたか、もう検討がついているであろう。そう、先にビザンツ人に知られており、都キーウのあった地域が「小」と呼ばれ、そうでない地域が「大」と呼ばれたのである(先行研究は「中心である〈小ロシア〉に対応する周縁が、〈大ロシア〉であった」[1]と明言する)。

要は、「小田舎のロシア」と「大田舎のロシア」である。だから、よもやおるまいが、もし仮に自分が「大」だと言って「小」を見下して威張る人がいるとすれば、それは全ヨーロッパ的伝統に対する無知に根ざした自らの田舎者根性を誇っていることにほかならないのであるが、どうもヨーロッパから遠く隔たった土地、海の向こうの小島や我を失うほど広大な土地においてはヨーロッパ文明の御威光も形なしになるらしく、「大」が自らの偉大さを物語っていると一人合点しがちなようである。知らぬが花とはこのことである。


ところで、「小ロシア」、「大ロシア」とよく並ばせられる「白ロシア」というものがあるが、この組み合わせを初めて見てなるほど尤もだと思う人は果たしてどれほどいるだろうか? 大、小と来て中と来るならわかるが、白と来られてはどうにもちぐはぐな組み合わせである。

事実、白は元来大小に組み合わせるべき概念ではなかった。それは本来赤とペアを成すものであったのを、あるときある事情で大小にくっつけられたのである。

その辺りの話はまた別のテーマになるから、ここでは宗教的コンプライアンスといろいろ《大人の事情》があったとだけ言うにとどめよう。


さて、言うまでもないことを言うが、田舎の住民が劣っているということはないし、田舎の風土が悪いわけでもない。むしろ、《周縁》は偉大だと言ってもよいくらいである。

問題なのは、精神における田舎、つまり、世間知らずの非常識に気づかずに威張る夜郎自大の精神である。それは田舎というより井の中の住人なのである。


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[1] Яковенко Н. Вибір імені versus вибір шляху: назви української території між кінцем XVI – кінцем XVII століття // Яковенко Н. Дзеркала ідентичності. Дослідження з історії уявлень та ідей в Україні XVI – початку XVIII століття. Київ: Laurus, 2012. С. 26

2022年5月25日02:12掲載(22:05修正)

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