カルパチア山脈の山間の流れ。山腹に森林のない草地があり、放牧地となっている。
「僕は行くよ遠くの山に」(«Я піду в далекі гори», 1968)
作詞・作曲:ウォロディーメィル・イワシューク
僕は行くよ遠くの山に
山頂の広い草地に、
そして頼もう谷間の風に
日が昇るまで眠らぬように。
自由な翼で飛んでいけたら
高い山や樫林に
そして知ることができたら、かわいい君はどこか――
亜麻色の眼、黒い眉は。
〔繰り返し〕
かわいい君よ、愛しい君よ、
明るい花の光よ、
目にとどめて君に届けるよ
空色の世界のすべてを。
愛と悲しみを届けるよ、
若き夢を、
そうしたら庭は僕のために咲き乱れるだろう、
君のもとへ行くときには。
もしも山頂の草地の風が
飛び立とうとしなかったら、
それでも彼女を見つけるよ――
黒い眉、亜麻色の眼を。
僕は急流を渡ろう、
崖も、樫林も、
道が僕に示すだろう
亜麻色の眼を、黒い眉を。
〔繰り返し〕
【解題】
ウクライナ西部にはカルパチア山脈がそびえている。その麓の町キーツマニ(チェルニウツィー州)に生まれたウォロディーメィル・イワシューク(Володимир Івасюк, 1949–1979)は、ウクライナの作詞家、作曲家、そして歌手として、今日でもウクライナ人に愛され続ける数多くの歌を残した。
「僕は行くよ遠くの山に」は彼の代表曲である。元は「かわいい君」(«Мила моя», 1968)の曲名で発表されたが、歌詞に修正を加えてこの歌となった。
イワシューク本人が歌ったほかに、北米を拠点に活躍した歌手クヴィートカ・ツィーシクはじめ性別問わず多くの歌手に歌われ、今日までカバーされ続けている。
歌詞には、彼の故郷カルパチア山脈特有の地形を表す名詞(この地方の方言の語彙を含む)が多く用いられている。「ポロネィーナ」(カルパチア山脈の山頂付近の草地)、「ズヴィール」(谷間、より厳密には雨裂)、「ケィーチェラ」(山頂が草地になっていて、それ以外は森林に覆われている山)、「ディブローワ」(樫林)、「ベスケィード」(急峻な山、崖)。
カルパチア山脈の風景を、土地の者でないウクライナ人には必ずしも明らかではない固有の名詞や方言を用いて描写するのは、19世紀末のウクライナ文学からの伝統を想起させる。19世紀以来、カルパチア山脈周辺の地域は古きよきウクライナ人の伝統を色濃く残す地域として、彼らの原風景のひとつとして、作家や詩人をはじめとするウクライナの文化人の大きな注目を集めてきたのである。
イワシュークのピアノ(ウォロディーメィル・イワシューク博物館。チェルニウツィー市、2013年、許可を得て撮)
NHK BS1で2月16日に放送されたドキュメンタリー番組「ブチャに春来たらば 〜戦禍の町の再出発〜」(https://www.nhk.jp/p/wdoc/ts/88Z7X45XZY/episode/te/Y7PZ9VGM79/)で、この歌が歌われる場面があった。出征する兵士たちの壮行会で結婚するカップルを祝福する場面(19~21分辺り)で、デュエットで歌われている。
歌詞から考えるに、これは特段戦争を意識した歌ではない。ソ連繁栄の時代のウクライナで人気を博した流行歌である。だが、この場面で歌われると、その歌詞も違って聞こえてくる。
文法的なことを言えば、「行く」のも「頼む」のも「見つける」のも、ここに出てくる現在形の動詞はすべて完了体であり、つまり、未来の話である(ウクライナ語では完了体動詞は形のうえで現在形の場合、実際には未来の動作を表す。例えば、「読み終える」という完了体動詞の現在形「読み終えてしまう」は、実際には読み終えるのはこれからあとのことであって、発話時点ではまだ読み終えていないことを意味する)。「僕は行くよ遠くの山に」(実際はまだ出発していない)、「そして頼もう谷間の風に」(まだ頼んでいない)、「それでも彼女を見つけるよ」(まだ見つけていない)……。
個人の意志では帰郷はできない戦場へ赴く人間にとって、この未来形は限りなく仮定法、反実仮想に近く響くのではないのか。「僕は行くよ遠くの山に」(実際は行くことはできない)、「そして頼もう谷間の風に」(夢の話)。
第二連はまさに仮定法であり、現実と異なる願望を述べている。
繰り返し部は、やはり反実仮想である。「君に届けるよ」(届けたいが届けられない)、「庭は僕のために咲き乱れるだろう」(そのようなことが起こるだろうか)、「君のもとへ行くときには」(果たしていつそのような日が来るのだろうか?!)
第三連も同じである。それは、目の前の現実とは異なる願望の実現に対する熱望である。たとえ風が吹かなかったとしても「それでも彼女を見つけるよ」、「川を渡ろう」、「道が僕に示すだろう 亜麻色の眼を、黒い眉を」……。そうあれかしと!
ウォロディーメィル・イワシューク(ウォロディーメィル・イワシューク博物館、同上)
イワシュークは、テレビやラジオ、レコード業界で活躍する人気歌手であった。この歌もそうであるように、彼は特に政治的なニュアンスのある歌を歌ったわけでも、政治的な活動をしたわけでもない。しかし、彼は突然行方不明になり、やがて遺体となって発見される。
死因は自殺とされたが、実際には複数の何者かによる殺害であったと現在では考えられている。恐らくは、ウクライナについて歌ったこと、ウクライナ語で活動を行ったこと、なかんずく、それによって大きな人気を得たことが、彼の死因となったと思われている。
これが「諸民族の友好」を謳った国の実態であり、その国の支配民だった人々が言うところの「兄弟愛」の実際であった。
Я піду в далекі гори – Сторінки пам’яті Володимира Івасюка [http://www.ivasyuk.org.ua/songs.php?lang=uk&id=ya_pidu_v_daleki_gory] (2023年2月19日閲覧).
2023年2月20日23:29掲載
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