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ウクライナ:キーウ洞窟大修道院に関するウクライナ正教会の声明(2023年1月11日)



【要約】

ウクライナの歴史的な宗教の中心地であるキーウ洞窟大修道院におけるウクライナのキリスト教会による祭儀の再開の重要性を訴える。

ウクライナ正教会はロシア正教会から「独立した」のではなく、かつての(10世紀に成立しコンスタンティノープル総主教庁に直属した)キーウ府主教庁の直接的な後継者である。ロシア正教会とそのウクライナにおける出先機関であるモスクワ総主教庁ウクライナ正教会は、キーウ府主教庁の財産や伝統を不正に自分のものとした。17世紀以来、ロシア正教会とロシア政府はウクライナの宗教・精神生活を破壊し、「ロシア化」させようとしてきた(以下で「宗教的な」と訳したウクライナ語の単語は同時に「精神的な」も意味する)。

キーウ洞窟大修道院のウクライナ教会への帰還は、ウクライナ人が自分たちの「真実」を取り戻す重要な一歩である。


キーウ洞窟大修道院の中心の聖堂、至聖生神女就寝大聖堂西壁(2013年、©筆者)

現在の建物は、17世紀末から18世紀初めのウクライナの国家指導者、イワーン・マゼーパ将軍の寄進によって華麗なバロック様式に改築されたあとの姿


【本文】

ウクライナ国民にとって宗教上の大いなる喜びにして神の真の祝福となったのは、古よりのウクライナの聖地が、ウクライナの都の中心で、ついに宗教的占領から解放され始めたことである。そして、それはこの数百年来初めて、大修道院の主たる聖堂〔至聖生神女就寝大聖堂のこと〕に主教たちのもと、故国なるウクライナの教会――古のキーウ府主教庁の合法的継承者たる承認された在地にして独立のウクライナ正教会が上げる故国の言葉による祈りが響き渡ったことである。


しかり、独立を認める総主教とシノドのトモス〔文書〕を持ち、母なる教会〔コンスタンティノープル教会〕と余の姉妹なる教会たちの承認を得た我らが教会こそが、古のキーウ府主教庁の宗規に則った合法的継承者なのであり、したがって、その歴史的遺産の継承者なのである。それは、最近までモスクワ総主教庁ウクライナ正教会と臆面もなく称していた、不明確な地位の今日の司法権の遺産では決してないのである。ロシア教会は、17世紀にキーウ洞窟大修道院を占領し、事実上、横領したのである。


歴史家たちは、古のキーウ府主教庁は大修道院とともにおよそ635年間(1051年から1686年まで)存続し、モスクワ総主教庁がこの聖地を専有したのはほぼ半分の337年間(1686年から2023年まで)と数える。つまり、この主降誕祭に行われたキーウ洞窟大修道院の主たる聖堂におけるウクライナの祈りは、わけても特別なものであった――337年ぶりにモスクワの宗教的軛から解き放たれたのである! 祈りは再建された至聖生神女就寝大聖堂に響いたのであるが、この聖堂は1941年にロシアのボリシェヴィキによって爆発物を仕掛けられ、爆破されたのである。


また、大修道院を襲った1718年の大火事についても言及すべきである。そのとき、多くの建造物とともに膨大な史料コレクション、それに公文書や法令書、古い出版物、公時代の手稿を保管していた図書館が焼失した。業火は独立時代のウクライナの政治および宗教面の大修道院の生活に関する史料を焼き尽くした、と歴史家たちは記す。この喪失と影響は我々にとって取り返しのつかないものとなった。すなわち、火災後すぐにモスクワの「年代記者」たちは古代の修道院の歴史を新設されたロシア帝国の国益に叶うよう、書き換える作業に着手したのである(ピョートル1世がモスクワ王国をロシア帝国に改名する決断をしたのは、まさにこのときであった)。


18世紀まで洞窟修道院における奉神礼〔礼拝〕の言語はウクライナ版の教会スラヴ語であったが、ツァーリたるピョートル1世の命により禁止され、モスクワ語に置き換えられた。「我が国の言葉たるウクライナ語、我が国の書籍は、いつでもモスクワの目には嫌がらせとして映った」そう著書に記すのは〔在カナダ・ウクライナ・グレコ正教会の〕府主教イラリオーン(オヒイェーンコ)である。「そして、モスクワは早くも我々との戦いを開始した、我々に己の故国の言葉を捨てさせ、モスクワ語に染まらせようと。これは我らが教会のモスクワ教会への併合直後に始まったが、そのとき〔モスクワ〕総主教はウクライナ人を心底憎んでいたヤケィーム〔イオアキーム〕であった。彼はまず、ウクライナ人に対して故国の言葉で書かれた本を禁止するところから始めた。1677年にはもう彼はウクライナの書籍のページを引き裂くよう命を下していたが、なぜならそれらのページは〈モスクワの本と違うて〉いたからであった。このようにしてウクライナの書籍に対する検閲が17世紀には始まっていたのである」。


「ウクライナ人〈贔屓〉のピョートル1世は、書籍の検閲を遥かに進めた。自身に向けた風刺的時評文が乱発されたことに苛立った彼は、全ロシアに対し1701年、次のような奇妙な命を発した。「僧院の僧ども如何なる文も書く権持たず、墨も紙も僧院にてはあるべからず、しかるに食堂においては書き物すべき場所を定むること、ただし、監督の許しを得べきこと」と……。その後はこうしたモスクワからの検閲の蠍は長い列をなしてやってきた。キーウ大修道院には、手稿の印刷の「認証を得るには大修道院よりじかにモスクワの印刷局へ送付すべきこと」を厳命されたとイラリオーン府主教は述べ、ウクライナ語テキストに対する検閲や禁止、処分の例を多数上げる。この時代を、府主教は「ロシア化」の時代と呼ぶ。


この1000年にわたるキーウの聖地の歴史の多くの事実が、いまだ我々には明かされぬままとなっている。だが、我らは真実の光は徐々に詐りの闇を払うと信じている。肝心なのは、我々の300年にわたる宗教的占領の枷はすでに破られた、ということである。そして、いかに我々が早く立ち上がり伸び伸びと力を発揮できるか、今やそのすべては我々に懸かっているのである。全てに対し神に光栄あれ!


至聖生神女就寝大聖堂北壁(2013年、©筆者)


【解題】

キーウ洞窟大修道院は現在、建築物としては国家の所有となっている。宗教団体はレンタルの形で施設の使用を認められる。

2022年末まで、この施設を使用してきたのはウクライナにおけるロシア正教会の出先機関であるモスクワ総主教庁ウクライナ正教会であった。レンタル期限の満了となるこの年末、ウクライナ政府はレンタル契約を延長しない方針を公表した。

親ロシア派政権と結ばれたレンタル契約の不透明性やその後の違法な使用実態(法によって保護されている歴史的建造物に対する無許可の増改築、営利活動、反ウクライナ・プロパガンダ活動、工作員のアジトとしての利用など)は以前より問題となっていたが、ロシア連邦によるウクライナ侵攻と、モスクワ総主教庁ウクライナ正教会によるロシア軍への支援的姿勢が遠因となり、22年末付でレンタル契約は終了した。2023年1月5日には聖堂の使用権が国家へ戻ったことが正式に発表された。

これを受け、コンスタンティノープル総主教庁に承認されている方のウクライナ正教会は、1月7日に執り行われるクリスマスの礼拝を実施した。

本文でウクライナ正教会がロシア正教会による「占領」と訴えていることは、1686年のモスクワ総主教庁によるキーウ府主教区の併合が違法であり無効であると、2018年、正教会の総本山であるコンスタンティノープル総主教庁により裁定されたことを重要な論拠としている。その裁定によれば、1686年にキーウ府主教区がコンスタンティノープル総主教庁からモスクワ総主教庁の管轄下に移動する合意がなされた際、聖職売買が行われたこと、また移動の条件としてモスクワ総主教庁が履行の義務を負った諸事項が履行されなかったことを理由に、過去に遡って、キーウ府主教区の管轄の移動は無効であったと認定された。したがって、今日コンスタンティノープル総主教庁の承認のもとに存立しているウクライナ正教会は1686年に絶えた元のキーウ府主教庁を復興させたものであり、ロシア正教会の流れを組むものではなく、モスクワ総主教庁が事実上管理した時期は不法な「占領」期であった、というわけである。なお、今日の司法権についての言及について言えば、現在のウクライナでは法的にはモスクワ総主教庁ウクライナ正教会は存在は許可されているがそのロシア国家への帰属を明言するよう求められており(そして当の教会はそれを拒否しており)、「最近までモスクワ総主教庁ウクライナ正教会と臆面もなく称していた」その法的立場があやふやになっていること、同時に、正教会の元締めであるコンスタンティノープル総主教庁からもウクライナにおける正教会の代表組織としての立場を否認され、宗教的な立場もなくなったことを述べている。

ウクライナ正教会は、今日ウクライナとロシアの文化的〈共通点〉として根拠にされることの多い宗教面での一致が、実はロシア国家がウクライナに「ロシア化」を押し付けたのみならず、ウクライナの聖人たちを「横領」した結果に過ぎないと明かしている。


なお、2022年7月6日から20日にかけてキーウ社会学国際研究所が実施した電話調査では、回答者の54%が(コンスタンティノープル総主教庁に承認された方の)ウクライナ正教会に帰属すると回答し、モスクワ総主教庁ウクライナ正教会に帰属すると回答したのは4%であった(特定の組織に帰属しない正教徒と回答したのは14%、グレコ=カトリック教会に帰属すると回答したのは8%)。前年6月25日から28日にかけての調査では、回答者の72.7%が正教徒、8.8%がグレコ=カトリック教徒であると回答し、正教徒のうち58.3%(全体の42%)が(コンスタンティノープル総主教庁に承認された方の)ウクライナ正教会、25.4%(全体の18%)がモスクワ総主教庁ウクライナ正教会に帰属すると回答していた。教会の移動は個人の自由で簡単にできるものではなく、特にモスクワ総主教庁からウクライナ正教会に移ろうとすると「破門」(つまり地獄行き)を宣告すると脅されるなど、正式な移動には困難が伴う。このアンケート調査は個人の信条を問うもので、手続きについては問うていないように思われる。

また、2022年12月4日から27日にかけて実施された電話調査によると、回答者の54%がモスクワ総主教庁ウクライナ正教会の禁止に賛成であり、24%は禁止はしないが国家による監督が必要、12%は刑事犯罪行為に関する場合を除き何もすべきでないと回答した。

このような信者数の数の差がある一方で、ウクライナ人が建立した歴史的宗教施設の大半は、現在もなおモスクワ総主教庁の所有または使用権下に置かれている。キーウ洞窟大修道院はそうした施設の代表格である。


用語について、ウクライナ語ではコンスタンティノープル総主教庁に承認されている方のウクライナ正教会はПравославна церква України(略称はПЦУ)、承認されていない方のモスクワ総主教庁ウクライナ正教会はУкраїнська православна церква(略称はУПЦ)であり、簡単に区別できるが、日本語に訳すとどちらも「ウクライナ正教会」になってしまう。そのため、ここでは便宜上、前者は「コンスタンティノープル総主教庁に承認されている方の」と書き、後者には必ず「モスクワ総主教庁」とつけることで区別した。

なお、後者の名称(Українська)には「ウクライナの正教会」という意味と、「ウクライナ人の正教会」という意味が含意される。コンスタンティノープル総主教庁はこの点を問題視し、前者の承認に際しては「ウクライナ人の正教会」と解釈できる名称を使用せず、土地(国家)の帰属だけを表す名称を用いるように要求した。これは、正教会の組織が飽くまで土地(国家)の境界で管轄域を分けているのであり、民族や人種によって分けているわけではない、という原理原則が関係している。

【出典・参考】

Для українського народу є... (本文原文) – Православна Церква України [https://www.facebook.com/Orthodox.in.Ukraine/posts/pfbid02bj8jsV7UvYmBcKBGhtSr8hHoF8cvEhXYMvHP4ahmGr8KVuArG2412AWhkNqPfmLdl] (2023年1月15日閲覧、以下同じ).

Мінкульт не збирається продовжувати оренду головних храмів Лаври для УПЦ МП. Євген Кізілов — Вівторок, 27 грудня 2022, 17:48 [https://www.pravda.com.ua/news/2022/12/27/7382587/].

В УПЦ МП відреагували на рішення КС: назву міняти не збираються. Євген Кізілов — Вівторок, 27 грудня 2022, 22:21 [https://www.pravda.com.ua/news/2022/12/27/7382628/].

Собор та церкву Києво-Печерської Лаври офіційно повернули у держвласність. Станіслав Погорілов — Четвер, 5 січня 2023, 14:17 [https://www.pravda.com.ua/news/2023/01/5/7383667/].

УПЦ МП заявила, що Лаврські храми належать їй до кінця війни, і пригрозила криміналом. Ірина Балачук — П’ятниця, 6 січня 2023, 10:50 [https://www.pravda.com.ua/news/2023/01/6/7383768/].

Епіфаній у Києво-Печерській Лаврі проводить Різдвяну службу. Роман Петренко — Субота, 7 січня 2023, 09:16 [https://www.pravda.com.ua/news/2023/01/7/7383876/].

Грушецький А. Релігійна самоідентифікація населення і ставлення до основних Церков України: червень 2021 року. 6 липня 2021 р. [https://kiis.com.ua/?lang=ukr&cat=reports&id=1052&page=1&t=9].

Грушецький А. Динаміка релігійної самоідентифікації населення України: результати телефонного опитування, проведеного 6–20 липня 2022. 5 серпня 2022 року [https://www.kiis.com.ua/?lang=ukr&cat=reports&id=1129&page=1&fbclid=IwAR2iAmabKl1FURfHGltGJxYw2rNixq2HrLg-KEV_XleOCQ0tbOoglYit13Q].

Грушецький А. Якою має бути політика влади щодо Української Православної Церкви (Московського Патріархату): результати телефонного опитування, проведеного 4–27 грудня 2022 року. 29 грудня 2022 р. [https://kiis.com.ua/?lang=ukr&cat=reports&id=1165&page=1].


2023年1月15日23:35掲載

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