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執筆者の写真oak

十二月のアヤメ  小川万海子

 それは五年ほど前の師走の夕暮、私は職場での些細な出来事を引きずって、バスに揺られていた。一つのイライラが、過去のイライラを引っ張り出しては増幅させる、いつもの悪循環に落ち入りかけていた。

 三つ目の停留所で、白いニット帽に淡いピンク色のダウンコートを着た七十代くらいの女性が、小ぶりのキャリーバッグと共に乗り込み、私の向いの席に座った。同時に車内の空気が冴え冴えと一変する。キャリーバッグの表側のポケットに、小ぶりのアヤメのような花が無造作に挿してあったのだ。それは、暮色に残るほのかな明るさを、全て集めてきたかのような薄紫色の花だった。

 突然現れた、季節にそぐわぬ清々しい眺めに目を奪われていると、私の横に掛けていた年配の女性が口を開いた。

「この時季には珍しい綺麗なお花ですね。」

「ええ、妹の家の庭から、もらってきたものなんです。」

 ニット帽の女性は柔らかな声でそう答えると、花を手に取った。そして形のよいものを二輪選び、信号待ちでバスが停車した際に、

「どうぞ、よろしかったらお持ちください。」

と、私の横の女性に、何のためらいもなく手渡したのだった。

「そんな・・・せっかくの大切なお花をこんなにもらっては申し訳ないじゃないですか。」

 キャリーバッグには、萎れかけた一輪だけが残っていた。

「それはさすがにもったいないのでは・・。」

と、私も口をつきそうになる。

「いいんですよ。喜んでいただければ、私も花も嬉しいですから。」

 受け取った女性は、きまりが悪そうにしていたが、花を見つめているうちに、どんどん表情が明るくなった。

「もう長い間、花を飾ることなんてなかったので。思いがけないクリスマスプレゼントですよ。ありがとうございます。」

と、頭を垂れた。


 それはなんとも美しい、ひとひらの時間だった。私の心に澱んでいたものがさっと流され、かわって、人は誰かに喜んでもらうために生きているのだという思いが私を満たした。

 途中のバス停で、花をもらった女性は席を立った。

「またいつかお会いしましょう。」

と手を振るニット帽の女性に、その人は何度もお辞儀をしていた。その手には、薄紫色がぽっと灯っていた。 

 ニット帽の女性と私は終点でバスを降りた。足早に行く人のコートが、キャリーバッグの一輪の花をかすめる。

「お気をつけて。どうぞ良いお年を。」

私が近寄って会釈すると、女性は少し驚いた表情を浮かべ、そして優しく微笑んでくれた。

「あなたも良いお年を。」


 あの薄紫色の風情が忘れられず、冬に咲くアヤメがあるのかとネットで調べてみた。すると見覚えのある花の写真がいくつも出てきた。師走のアヤメは幻ではなかったのだ。名前は「寒咲きアヤメ」、英語名を「ウィンターアイリス」。十一月から三月に花を咲かせるという。花言葉は「信じる者の幸せ」、「勇気」、「良き便り」、そして「優雅な心」とあった。

 何か全てがすっと美しくつながったような気がした。師走の暮色の中、ニット帽の女性の「優雅な心」が、花を飾ることから遠ざかっていた女性の心に薄紫色の明かりを灯し、私の鉛色の心を救ってくれたのだ。

 あの女性のような「優雅な心」の人を目指して、丁寧に毎日を積み重ね、誰かに喜んでもらえるように生きていかねばと、私は思いをあらたにした。

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