top of page
執筆者の写真oak

九月の朝

九月の朝、西の空低く白い満月が別れを告げ、雲の薄衣が舞っている。庭の柚子の木には青く固い実がびっしりついている。毎年、元日の景色は全てが清浄で生まれ変わったように見えるものだが、今日の九月の朝は、昨日までとは違う透明感と清々しさに満ちていた。出口の見えない異常な暑さに、心身ともに限界を感じながら、これは人間の強欲と増上慢の所業の結果と思うと、ひたすら耐えるしかなかった東京の八月。だが、竜田姫は今年も確実に来てくださっている。


それは、おととし九月の白露の朝。外回りを掃除していると、道の隅で微かに動くものがある。目を凝らすと羽化したばかりの蝉が仰向けになって足をざわつかせていた。傍らには空蝉が一つ。その日は乙女座新月の日で、ちょうど月が生まれかわった時間帯だった。そっと手に取ると、新月とともに羽化した命は、ほのかな緑の柔らからな身体に小さなルビーの目が二つ、翅はオパールを薄く薄く削りだしたかのよう。悲しいくらいの美の結晶だった。

「しっかり生きるのよ。」

と話しかけ、肌寒くさえあった九月の朝の月の落とし子を我が家のくちなしの葉にそっととまらせた。

「生きとし生けるものが生を輝かせ、命を全うできるようお守りください。」

そう祈らずにはいられない、九月の朝だった。


身の回りのほのかな美を心のうらに集めておけば、それは、思いがけなく強靭な力となって、心の支えになってくれる。


小川万海子

閲覧数:35回0件のコメント

最新記事

すべて表示

十二月のアヤメ  小川万海子

それは五年ほど前の師走の夕暮、私は職場での些細な出来事を引きずって、バスに揺られていた。一つのイライラが、過去のイライラを引っ張り出しては増幅させる、いつもの悪循環に落ち入りかけていた。 三つ目の停留所で、白いニット帽に淡いピンク色のダウンコートを着た七十代くらいの女性が、...

ことばでとらえる,ことばであらわす(その1) 岡田幸彦

人間はどのように「ことばで」外界を認識するのでしょうか。 心理学によると,幼児は全体的,総合的な認識をするそうですが,大人は言語による分析的な認識をするそうです(田島信元氏講義から)。 状況全体から,人,場所,ものごとを取り出し,その関係としての動作・存在・状態という形で認...

Comments


bottom of page