ウクライナにおいて、《ヨーロッパ》という観念はどのように理解されてきたのだろうか?
東部の都市トロステャネーツィ[1]に生まれ、若きソヴィエト・ウクライナの首都ハールキウで活動した作家で詩人、社会活動家、1920年代ウクライナ・ルネサンスの発起人、メィコーラ・フヴィリョヴィーイ(Микола Хвильовий, 1893–1933)は、《ヨーロッパ的人間》をこう定義づけた。
Це – европейський інтелігент у найкращому розумінні цього слова. Це, коли хочете – знайомий нам чорнокнижник із Вюртембергу, що показав нам грандіозну цивілізацію і відкрив перед нами безмежні перспективи. Це – доктор Фауст, коли розуміти його, як допитливий людський дух.[2]
[…]
Саме ця страшна сила і є згаданий нами тип, і є психологічна Европа, що на неї ми мусимо орієнтуватись. Саме вона й виведе наше молоде мистецтво на великий і радісний тракт до світової мети.[3]
それすなわち、その言葉の最良の意味におけるヨーロッパ知識人である。すなわち、これは、謂うなれば、ご存知、我々に壮大な文明を提示し我々の眼前に無限の展望を開いてみせてくれたヴュルテンベルクの黒魔術師である。すなわち、これは好奇なる人間的精神として理解した場合のファウスト博士である。
〔…〕
まさにこの恐るべき力こそが我々が指摘した〔マルティン・ルターはじめヨーロッパ市民的人間の〕典型[4]であり、我々が目指さずにはすまされぬ心理学的ヨーロッパなのである。我々の若き芸術を世界的目標へと繋がる喜びに満ちた大路へと導いてくれるのは、まさにこの力なのである。
《ヨーロッパ的人間》とは、ヴュルテンベルクの黒魔術師ファウスト、言い換えれば、火を盗むことを厭わぬプロメーテウスであり、自ら《迷宮》から脱出するための翼を拵える《呪われた工人》ダイダロスであるのだ。したがって、フヴィリョヴィーイが想定する《ヨーロッパ的人間》とは、《近代人》の謂である。
この、安定になずむのを好まず、常に新奇なるもの、変則的なるものを希求する「好奇なる人間的精神」こそがヨーロッパ的知性であると見抜いたフヴィリョヴィーイは、ウクライナ人もまた《ヨーロッパ人》として、その黒魔術師の道を歩まねばならぬし、否応なく歩むことになるのだと述べた。
そこには、古典主義は無論、我々を閉じ込めるこの世界の《迷宮》に迎合し、己の無力感に酔い痴れながらひたすら救済の日を待つバロックの予定説的権威主義をも拒む、人間の、自らの理性の力と人口の術に対する大いなる自負がある。
予定説の神授の宿命を拒否する《ヨーロッパ的人間》は、逆説的に宿命的に、たとえ墜落の破局が予感されようとも翼を設え飛躍することをしないですますことはできないのである。
この《変則性》を《ヨーロッパ性》の一つの確信と看破したフヴィリョヴィーイは、そうして《ネオ‐古典主義》としてのモスクワ新秩序から距離を取った。
常に流動する社会を是としてきたウクライナは、彼の考えに従えば、まさしく《ヨーロッパ》的本質を抱く存在だったのである。
---- [1] Тростянець. 現スーメィ州、オフティールカ地区の市。2020年までトロステャネーツィ地区中心市。 [2] Хвильовий М. Думки проти течії: памфлети. Харків: Державне видавництво України, 1926. С. 45. 斜体は原文による。 [3] Там само, с. 46. [4] 引用前半の一つ前の段落冒頭に「そしてルター牧師も、労働者の頭目〔アウグスト・〕ベーベルも、ヨーロッパ市民的人間の一つの典型に属する。」(«І піп Лютер, і робітничий ватажок Бебель належать до одного типу європейської громадської людини»)とあり、引用中の「我々が指摘した典型」はこれを指している。
2022年3月3日(木)23:18
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