19世紀初頭に人気を博した偽書(年代記に見せかけた書物)『ルース人または小ロシアの歴史』(«Исторія Русовъ или Малой Россіи»)[1]は、自らを秘匿した著者が自らの思い描くウクライナ像を、偽書であるがゆえに却って思いのままにその文章に投影している点で注目に値する。そして、この書が一時的にせよ真の年代記と信じられ、人々に大いに気に入られたことも重要である。つまり、この偽の著者が書いた内容がウクライナの民の思い描く世界観や価値観に一致していたということが伺われるのである。
その著者が、フメリネィーッチナ(ボフダーン・フメリネィーツィケィイの蜂起、1648–57年)の英雄イワーン・ボフーン(Іван Богун, 1664没)に仮託して、端的にウクライナ人のロシア観を述べている箇所がある。
〔…〕だが、若衆は彼ら〔モスクワの保護を受け入れようとする長老たち〕に真っ向から反対し、与党の頭にして雄弁家、大監軍のボフーンを通じて証すに、「モスクワの民に君臨するは最も無益なる隷属と囚われ人の境遇の極まれるものなりて、かの者らにおいては神とツァーリのものを除いては個人のものは存せず、また存し得ず、人間が、かの者らの考えでは、この世に造られしは、そこで何物も持たず、ただ隷属するがためなりと謂わんばかりなり。モスクワきっての大名衆と貴族すら当たり前のようにツァーリの奴婢と冠し、請願の折には都度、かの者に叩頭すと記すなり。平民に至りては、皆が皆農奴と看做されており、さも一つの民から起こりしものにあらず、捕虜と囚われ人より買い受けられしものとなん謂うが如し、またこの農奴ら、或いはかの地の呼び方に従えば、キリスト者たる農民〔クレスチヤーネ[2]〕は、両性とも、即ち、男も女も、その子らまで、世界では理解され得ない権利としきたりとに基づいて彼がぬしやあるじから市〔いち〕或いはその家で家畜と並べて売られ、犬と交換されるも稀ならず、さらには売らるる者らはその際これみよがしに嬉しげにせねばならず、己が声、善良なること、そして如何なる手職の能のあるやを述べねばならず、それもまたより早く彼らが買われ、より高く支払いを受けんがためなり。つまりは、斯様なる無益の民と合一するは、其れ即ち、火から焔〔ほむら〕に身を投ずるが如し」と[3]。
この本は、18世紀以降の成立と見られている。ここに書かれているのは厳密には18世紀のウクライナ人の考えであるか、それとも歴史上のボフーンの考えの反映であるかは言い難いのであるが、17世紀に書かれた《真正の》史料と突き合わせると、あながちボフーンの時代のウクライナ人の考え方そのものが表れていると言っても誤りではないように見える。そして、18世紀に生きた匿名の著者は、そのボフーン時代のウクライナ人の考えを自分のものとして、新たに表明したのである。そして、この書が19世紀のウクライナ人に受け入れられたということは、19世紀のウクライナ人もまた同じような世界観のもとに生きていたということが推察できよう。
ウクライナ人にとっては、ポーランドやほかのヨーロッパ諸国の人々が考えていたのと同様に、モスクワは暴君の支配する奴隷の国であり、それは、ウクライナ人の最も尊ぶ自由と権利が保証される社会とは水と油、二つの相反物であり、両者の《一致》は矛盾形容的綺想なくしては考えられない冒険であった。
【写真】
「ウクライナ民族解放戦争志士の碑」 (ジョーウティ・ウォーディ、2015年、筆者撮影)中央ボフダーン・フメリネィーツィケィイの左手にマクセィーム・クリウォニース、右手(写真向かって左側)にイワーン・ボフーン。
---- [1] 同書は、日本語では中井和夫「うそからでたまこと――ウクライナの偽書『イストーリア・ルーソフ』」和田春樹編『ロシア史の新しい世界』山川出版社、1986年、19–35頁で紹介されている。 [2] 農民を意味する単語がまったく異なるウクライナ語から見ると、ロシア語の「農民」(крестьяне)はことさらにキリスト教徒(христиане)、あるいは十字架(крест)に結びつけられた単語を用いているように見えるし、実際ロシア語の「農民」という単語は「キリスト教徒」から発生した単語であるという説が有力である。ヨーロッパ文明から見れば《自由の民》であるはずのキリスト教徒が、かの国では奴隷であるという皮肉、パラドックスが述べられている。 [3] Кониский Г. [?] Исторія Русовъ или Малой Россіи. Москва, 1846. С. 98.
2022年2月27日(日)
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