波は嬉しげにさざめき小舟を愛でる、
幼子のように知りたがりの波は囁き問う。
「あなたは誰、小舟さん? 何しているの、小舟さん? どこから来てどこへ行くの?
「そこへ何を探しに行くの? 何をしていたの? 何をまだ待っているの?」
のろのろと這い小舟はぼそぼそ話す。
「どこから来たか、自分も知らない。
私の永遠の航走が何を以て終わるか、これも知らない。波は運び、嵐は吠え、
崖たちは脅し、岸辺は誘い頼んで私を招く。
「波は人生、我が柩、愛撫、そして我が死。
自分の柩のうえを永遠に流れゆく不安な私。
この柩が我が下にあるうちはただ真実に生きるのみ。
風は追い、波は壊す――そうしたら私はもう水の底。
「何をここで考えるか、何を恋しがるのか、目的地を知ろうとするのか?
今日は生きて、明日には朽ちる――今日は恐怖、明日には痛み。
母なる自然は必要なときは私たちを支えておいて、
結局私をまるごと自分のために取り上げるそうだ。
「何をここで考えるのか? 支えるなら支え、取り上げるなら
取り上げて――いずれにしても私に訊ねやしない。
悪天の、自由のない私の日、私の年月。生きるも死ぬも
同じこと! 目的地を探す? 長年闘い、航海を諦めるな!」
波は楽しげにさざめき小舟を愛でる、
子供のように優しい波は囁き囁き言う。
「小舟のお兄さん、喜びを探すは死のなかに、お墓のうえ――
これも悲しみではない! 海をご覧、いくつの帆が走っていることでしょう!
「ここに沈んだ小舟は一艘ならず、だけどみんなが沈んだわけじゃない。
九艘帰らずとも、十艘目は帰って
波止場にまで辿り着いた。だけどどこにも辿り着きはしない、
目的地を持たぬ者は。小舟さん、進むのならばどこに向かうか知ることよ!
「それに海はいつも荒れるわけじゃないし、穏やかなときの方が多いわ。
それに小舟がみんな嵐で沈むわけじゃない――安心なさいよ!
嵐で助かるのはあなたかもしれないでしょう?
もしかして、目的地まで漕ぎ着けるのはあなたかもしれない!」
ストレィーイ、1880年6月13日。
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Франко І. Човен // З вершин і низин. Збірник поезій Івана Франка. Львів: Наукове Товариство імени Шевченка, 1893. С. 53–54.
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イワーン・フランコー(Іван Франко, 1856–1916)の詩「小舟」(«Човен», 1880)の全訳。
フランコーは、西ウクライナ出身の小説家、詩人、劇作家、翻訳家、政治活動家、文学批評家、時事評論家、学者、博士。
ウクライナ語で「小舟」は男性名詞、「波」は女性名詞である。したがって、それぞれ男性と女性の言葉で話している。
ストレィーイ(Стрий)は、現在はリヴィーウ州の地区中心市。当時はオーストリア=ハンガリー帝国領。
※写真はイメージ(ポノーラ川のホレィーニ川合流地点、イジャースラウ城址)
2022年5月4日(水)掲載(25日23:00写真追加)
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