哀れなる自国の民に対し決して無関心ではいられない慈悲深きことかみなき「ロシア」の統治者は、片時も同胞のことを忘れることなく、しばしば自らに多大な犠牲を強いてでも「ロシア人」を助け出そうとするものである。
誰が誰を助けたいのか、日本語で書けば何の変哲もないこの現象であるが、ロシア語で書けば「ラシーヤ」(Россия)が「ルースキエ」(русские)を助け出そうとしていることになる(男性1人の場合は「ルースキイ」、女性1人の場合は「ルースカヤ」)。この「ルースキイ」という単語は日本では日本語でロシア人を意味する「露助」の語源としても知られるが、本来は形容詞で、「ルーシ」(Русь)という名詞から派生したと考えられる。
おや、ではなぜ解放しようとするのは「ルーシ人」ではなくて「ロシア人」なのか。これは設問が間違っている。別に誰も「ルーシ人」を助けないとは言っていない。
例えば、近年になってみるみる増加した用例の一つに、1410年のグルンヴァルトの戦いにおけるドイツ騎士団に対する「ルースキエ」の勝利、というものがある(お手軽に用例を見るには、Грюнвальд русскиеで検索しよう)。
ロシア連邦やその影響下にあったベラルーシ共和国では、ロシア民族のドイツ民族に対する優位を宣伝しようとするコンプレックスの発露、もとい、プロパガンダとしてこの表現が広く使われ、街角に看板まで出されるようなった。
日本ではタンネンベルクの戦いという名でより知られるこの合戦には、確かに今日ロシア連邦領となっているスモレンスクで編成された部隊が参加していた。だが、その実、スモレンスク旗隊の参陣だけを以て「ロシア人のドイツ人に対する勝利」と宣伝するのは、いささか無理がある。
スモレンスクの帰属はリトアニアとロシア系国家のあいだでしばしば変わっていたので必ずしもロシアではないし、当時はリトアニア大公国領であってリトアニア人のレングヴェニス・アルギルダイティス公(リトアニア大公の子)の指揮下にあった。そもそも、スモレンスクが合戦の主体というわけではなかった。
合戦の主体はやはり、リトアニア・ルーシ・ジェマイティア大公国(略してリトアニア大公国と呼ばれる)であり、ポーランド王国(当時ポーランド王はルーシ王国領も支配していた)であった。
この二国の軍は、いずれもルーシの諸隊を含んでいた。キーウ・ルーシの王朝の末裔であるルーシの諸公も、手勢を率いて参陣した。
つまり、この「ルースキエ」はこの場合語源通りの「ルーシ人」と解釈すれば、つまり「ルーシ人の勝利」と言っているとすれば、さほど誇張することなく史実を語っていると言える。
だが、その実、道路脇の看板やネット上で「ルースキエ」という語を一目見た現代人は、それは「ロシア人」であると直感的に理解するのも事実であろう。
つまり、ここでは「ルースキエ」は何かと構えて問えばそれは「ルーシ人」なのだが、問わざれば「ロシア人」なのである。そして、ロシア語ではどちらもが同じ単語で表されるため、その問いは意識下に埋没し易い。日本語では違う訳語になるために、初めて問題の存在が浮上するようなものである。原語を読むことは大事だが、翻訳を通すと見えてくる問題というのも存在する。
では、慈悲深きロシア国家が助けようとしている「ルースキエ」とはいったい誰なのか、どこぞのナチス政権の圧政から解放しようとしているのは誰なのだろうか? それは言われるように「ロシア系住民」、つまり「ロシア人」なのか?
RIAノーボスチというロシアの通信社からなぜか流出した、2022年2月26日に掲載が予約されていた(そして流出しなければ尽未来際日の目を見ることもなかった)ロシア連邦の《架空の》勝利を祝う文章を見てみよう。この情報の存在は、ウクライナのニュースサイトGazeta.uaの記事で明らかにされている[1]。
もはや期日を過ぎたがために単にロシア人のファンタジーに満ち溢れた《歴史のif》と成り果てたこの文章であるが、冒頭にこんな文がある。
「1991年の悲劇」(«трагедия 1991 года»)をロシアが克服したのは、「そう、大きな代償を以て、そう、事実上の内戦の悲劇的出来事を通してである、なぜなら、ロシア軍とウクライナ軍に所属することによって分断された兄弟がいまだ互いに撃ち合っているからである、だが、反ロシアとしてのウクライナはもはやなくなったのだ」(«Да, большой ценой, да, через трагические события фактически гражданской войны, потому что сейчас пока еще стреляют друг в друга братья, разделенные принадлежностью к русской и украинским армиям, – но Украины как анти-России больше не будет»)。
まず、「内戦」という表現がある。つまり、戦っていたのは二つの国家ではない。それは一つの民族が二つの軍隊に所属していただけ、と書かれている。
この文章全体で「兄弟」という表現が用いられるのは、この引用に現れる修辞的用法のただ一箇所だけである。あれほどもてはやされた表現が、ただの1回だけである! このことは重く取るべきである。つまりこうだ。
ソ連時代に広められ、今でも事あるごとに口にされる“兄弟民族”の神話は、ロシアの(架空の)「歴史に一つの画期を築く大勝利」のあとではもはやその役割を終え、影を潜める。
その仮初のベールを脱いで立ち現れるのが、古式ゆかしき(とはいってもせいぜい18世紀だが)「大ロシア人、白ロシア人、小ロシア人」の、と来ればこう言うしかない、至聖なる“三位一体のロシア民族”である[2]。
曰く、「ロシアは、ルースキエの世界を掻き集めて、その歴史的全一性を回復しつつある、ルースキイ民族は共にいる――大ロシア人、白ルーシ人、小ロシア人から成るその総体のうちに」(«Россия восстанавливает свою историческую полноту, собирая русский мир, русский народ вместе – во всей его совокупности великороссов, белорусов и малороссов»)と。
「いずれにせよ――ルースキイ民族分裂の時代は終わろうとしている」(«В любом случае – завершается период раскола русского народа»)。
つまり、3つの独立した“兄弟民族”などというものはなくて、あるのは単一民族のなかにいる“兄弟”だったのである。
それに、矛盾形容なのか同語反復なのか、こんなこんがらかった、もとい、複雑な概念の淵源を見せた表現もある。「ルースキエ人の小ロシア人なるウクライナ人への反感」(«настраивание против русских малороссов-украинцев»)。
これに続いて著者が熱弁を振るう「ドイツはロシアが作った」とか、「アングロサクソン」だとか「古い世界」とか、「ヨーロッパの西方世界からの自立」(!)とかいった独創性溢れる話はここでは脱線でしかないので、無視して我々の話を続けよう。つまり、慈悲深きロシア連邦が解放しようとした「ルースキエ」は誰なのかと。
それは、狭義の「ロシア系住民」などではなく、歴史の悲劇によって分断された「ルースキイ民族」だったのである。つまり、ロシア連邦が数千の自国民の犠牲をも厭わず救い出そうとしたのは、「ロシア人」の仮面に隠された「ルースキエ」であり「小ロシア人」であるところの「ウクライナ人」だったのである。
だから、「ルースキエの解放」という大義は、「ルースキイ民族」に含まれる「大ロシア人、白ロシア人、小ロシア人」すべてに、彼らが住まうすべての領域に適応される(このうち、前二者はすでにロシアの魔手、もとい《高き御手》に救われて昇天している。彼らが自力でこの地上に戻ってこない限りは)。
「ルースキエ」という用語は普通いわゆる「ロシア人」だけを指すから、言われた方は彼らが解放しようとしているのは「ロシア人」だけであると勝手に考える。だが、その実、それはすべての「ルースキイ民族」のことだったのだよとあとから明かされても、騙されたとは言えないのである。心せよ、全ルーシの民よ、今に「ロシア」が救いに来ると!
翻訳をすることは極めて重要であるが、自分で決めた訳語によって見方を制約されてしまうことがある。我々は、「ルースキエ」という単語を勝手に「ロシア人」なり「ロシア系住民」なりと訳し、その後はこの自分で決めた訳語をもとに物事を判断し出したのである。
いずれにしても、こうなると「ルースキエ」とは「ロシア人」であって「ロシア人」ではないようなものである。それでは、いったい、当のロシア人の自己認識、アイデンティティーはどうなっているのだろう?
さすがロシア大手通信社と思わせる有能な筆者の豊穣なる想像力に身を委ね、人間の特権であるところの想像力を負けじと働かせて作文してみたが、やはり猿真似の道化は本家に敵わないのである。彼の提示したパラドックスに、何の答えも出せていない。我が無能なるを痛感したところで一旦筆は置く、もといキーボードの打ち止めとしよう。
---- [1] Пропагандистське ЗМІ окупанта готувало статтю про “величність Росії”: перемогу були готові святкувати 26 лютого. Неділя, 27 лютого 2022 22:35 [https://gazeta.ua/articles/life/_propagandistske-zmi-okupanta-gotuvalo-stattyu-pro-velichnist-rosiyi-peremogu-buli-gotovi-svyatkuvati-26-lyutogo/1073052]. 流出した記事の内容は、右のアーカイブで閲覧できる。Наступление России и нового мира. 08:00 26.02.2022 (обновлено: 08:01 26.02.2022) [https://web.archive.org/web/20220226051154/https://ria.ru/20220226/rossiya-1775162336.html] (いずれも2022年2月28日閲覧). [2] 《三位一体ロシア民族論》というのは、帝政ロシアの帝国主義を支えた公式イデオロギーである。「ロシア人」は「大ロシア人」、「小ロシア人」、「白ロシア人」から成る単一民族であるとした。同じ原理で「小ロシア語」や「白ロシア語」は大枠の「ロシア語」の方言であるとし、独立した言語であることを認めなかった。ソ連時代に、「ロシア」は「東スラヴ」、「大ロシア」は「ロシア」に擦り替えられた。
2022年3月2日(水)03:29
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