かつて白水社からフリッツ・クライスラーの翻訳評伝が出ていたことがあった.これが実に面白い内容だったが,ただでさえ安普請に物がたまるのを好まない性癖が出て,この稀覯本もいつしか手放してしまった.その後ふと原著を眺めてみたいと思ったものの,当時は今と違って居ながら世界中のネットワークを探索するなど想像もできない時代.それで『チャリング・クロス街84番地』のヘレーン・ハンフよろしく,あの作品では宛先がロンドンだったが,逆にハンフの住むニューヨークの古書店に狙いを定めて書籍の探索を願い出た.その結果,今それが手元にある.Louis P. Lochner. Fritz Kreisler. New York: The Macmillan Company, 1950.
この本の132頁にマーラーに関する記述が見える.以下テキストを引用してみよう;
私(クライスラー)は欧州への航海(1908年)にマーラーと行き合って彼をよく知る機会を得,その素晴らしいスコアを本人の説明つきで読むという貴重な時間を過ごした.私は断言するが,交響管弦楽のある種の効果ということでマーラーの右に出る者はなく,誠実に情熱をもって内なるもののみを表現する技,これをいささかも故意の,向こう受けをねらうとか外からつけ加えられたような手段の一切を使わずに行う作曲家は彼をおいてほかにいない.全世界は早晩,マーラーを掛け値なしで熱狂的に受け入れるようになるだろう.その兆候はすでに関係随所に顕れている <…>
本書での言及はここまでだが,クライスラーの予言は周知のように作曲家没後半世紀で現実になった.その時点で既にマーラー熱は飽和状態だったにもかかわらず,そこからまた半世紀以上を経過している現在,マーラーはやはり世界の楽団のドル箱であり続けている.
導入が長くなってしまった.拙文は音楽評論ではない.そうではなく,あとは時節にちなんだ身辺雑記であることにどうかご寛容を願いたい.
マーラー作品の受容と理解がもうこれ以上何を望むかという状況で,それにしても第1番は若書きを理由に閑却されることなく人気が根強いようである.フレール・ジャックの旋律を用いた第3楽章が作品の顔として一役買っているのは明らかだろう.筆者の父もこの楽章が好きで,しばしば私にCDを聴かせてくれと所望したものである.
そんな某日いつものようにこの音楽を聴いていたら,ちょっと演奏が自分のイメージと違うという感想をもらした.そういうこともあるかと覚えておいて,他日同じリクエストがあった際に一計を案じた.といっても何も特別なことをしたわけではない.ただなるべく条件のいい,録音の新しいものを選んだのである.ピエール・ブーレーズがシカゴ交響楽団を指揮したDGの当時最新盤がそれであった.
果たしてこの手は当たり,父は始まるなり熱心に聴き入った.拙宅はただでさえ音響工学に疎く安物のCDラジカセしかないので,そこから上等とは言えない音が流れ出てくる.楽句が徐々に展開し,受け持つ楽器が変わり,いよいよ旋律が哀愁を極めてくると,いつもの少し頭をかしげる格好で(片方の耳が聞こえなかった)しきりに感心し,「これは色で言えばセピアだな」などと独り言をつぶやいている.
私はこの様子を見て,父は譜面が読めなくても音楽に酔える人なのだと思った.ところで不思議なことに,マーラーというと1番のフレール・ジャック以外は興味を示さない.普通なら持ち前の好奇心と研究熱心から他の楽章も,また他の交響曲や歌曲も試してみようとなるのだが,不思議とマーラーはそうならない.マーラーは一曲が長いから,それを警戒したのだろうか.とにかく,第3楽章にしか興味がないのを知っているので,私はこれも名旋律の宝庫である終曲の開始を告げるシンバルを待たずにラジカセを止めるのである.
それかあらぬか,交響曲だからといって,我慢して律義に全部付き合うのを常としなくてもいいのではないかと,私も思うようになった.現代人は忙しいから,好きなところを好きなように気ままに楽しむのも,時と場合によってありではないだろうか.活字なら拾い読みとか,またニュアンスは違うが繙読(はんどく)という言葉がある.こちらは書物を開いて読むというほどの意味だろうが,読みだしたら面白くて思わず打ち込んでしまったということもあるかもしれない.
またある夕刻NHKのTVをつけると,ちょうどバーンスタインがウィーンに登場してマーラー・ツィクルスを振り,世間の評判をとった映像が流れていた.この時は3番の終楽章.すると風呂からあがった父が,珍しくフレール・ジャック以外のマーラーに関心を示し,風呂上がりの気安さも手伝って画面の前にどっかり座り,このただでさえ長大な楽章を最後まで見た.終わると私の方を振り向いて,「オーケストラで一番小さい楽器は何?」「ピッコロ」「違う.指揮棒だ.では一番大きな楽器は?」「チューバ? コントラバス?」「いや違う.指揮棒だよ」
そうか,父はバーンスタインのファンだったのだ.とっさに合点がいったのだが,これも語り草になっているCBSのTVプログラムでバーンスタインが企画から指揮・司会を務めてベートーヴェンの5番を取り上げた映像があった.若きバーンスタインがVゾーンの狭いぴったりしたスーツに細いネクタイを隙なく着こなし,第5の冒頭スコアが拡大してスタジオのフロアに置かれている,その音符を踏みつけながら解説し,ピアノで弾いて見せ,楽団を指揮する.あの番組を父はどこかで見たのだ.そうに違いあるまい,と私は思った.音楽ファンならずとも参るような録画であり,ベートーヴェンの第5はもとより父の好物であるから,あれでいっぺんにバーンスタインに参ったというのは,十分考えられることである.
もう一つ思い出した.私がマーラーの2番のアンダンテを聴いていたら,父がはっとした様子で,これは誰の作品かと尋ねた.答を知ると,さもありなんという表情をした.これも忘れられない記憶である.
小石吉彦 sova
March 2023
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